新町のプロフィール

 

                                                          

※ もしかすると、不適切な表現や気分を害してしまうこともあるとは思いますが、
予めご了承くださいますようお願い申し上げます。<(_ _)> 

はじめまして、地域密着型!マーケティング!!

 

合同会社ケーアイ代表の新町義臣と言います。^^

 

今は塗装会社とリフォーム会社のマーケティングをしながら、「このブログ」をのんびりおこなっております。

 

今は、塗装業、リフォーム業、ブラジリアン道場の地域密着型の小さなビジネスのマーケティングをメインにしています。
(今は、こちらがメインです。 最近はプロモーター業が多くなっております。) (*’ω’*)

 

 

ただ、現在、手一杯のため、このブログでは募集していませんのでご了承ください。m(__)m

 

基本的に、ゆっくり、のんびり、ほのぼのとがモットーでやっております。
(記事更新もマーケティングもマイペースでしています。)

また、最近はレッサーパンダがマイブームです。(*^ω^*)

 

 

この愛らしい表情と動きが、もうたまりません〜(о´∀`о)♪

 

 

あとは、昔からアメリカンルーツミュージックが大好きです。

 

 

10代から、ブルースやカントリー、ロカビリー、ゴスペル、ソウルのレコードを漁っていると、レコード屋のオッチャンがよく喜んでくれました。( ^ω^ )

 

好きすぎて、アメリカのメンフィステネシーに行ってきました( ^ω^ )♪

 

さて!あなたの大切な時間を守るためにも、このブログの趣旨を。

 

初めまして、新町と申します。

新町のプロフィール

移住地:鹿児島県 姶良市

母校:面縄小学校(徳之島)入学、伊作小学校(日置市)卒業、鴨池中学校卒業、鹿児島高校卒業

生年月日:1973年9月18日:48歳

星座:乙女座

血液型:O +

家族構成:妻、娘小学校3年生

趣味:マーケティング全般、ハーブの栽培

好きな場所:ハワイが大好き

特技:アメリカンルーツミュージックが好き

好きな映画:レザボア・ドッグス

好きな音楽:ロカビリー(パット・カップ)・ブルース(スティーヴィー・レイヴォーン)・ジャイブ(ルイ・プリマ)・ヒルビリー(ジョニー・ホートン)・ジャズ(デキシーランドジャズ)・ソウル(オーティス・レディング)

 

 

 

のブログにお越しくださいまして、ありがとうございます。

 

ずは日頃のご多忙にもかかわらず、こうしてこのブログにお越しくださいましてありがとうございます。m(_ _)m

マーケティング会社でありながら、マーケティング戦略、チラシ集客、ネット集客、ポスティング集客だけではなく。

さまざまな集客、入店率アップ、認知度アップ、商品開発など、地域密着型のビジネスの経営を成功させるためのマーケティング全般について、このブログでは発信しています。

情報発信の目的としては、地域に根付くビジネスの経営者様の時間やお金などの資源を三倍増やす情報発信を目指してやってきます。

 

 

まず僕がこの情報発信をするに至った
経緯をお話しさせてください

鹿児島の遊楽街、天文館と文化通り沿いで2002年にオープンして18年間、TikiBar&Grill BEATNIK (ティキバーアンドビートニック)というFOOD BARを経営していました。

ビートニックは、店舗面積9坪、席数24席、私を含めて、スタッフ2名、バイト1人の小さなフードバーです。現在もこのお店は、スタッフが譲り受け、今だに健在しているお店です。

 

なぜこのような僕が、このような経営についての情報を発信しているのかをお話しさせてください。

 

 

僕の人生のテーマは、与えること、そして残すことがテーマです。
その考えにいたった経験があります。

 

 

それは・・・

 

24歳のころ、明日死ぬと医者から言われるほどの大怪我をしました・・。

 

内臓破裂が原因で、膵臓が損傷して、膵臓の膵頭部、膵中部、膵尾部と分かれており、その3分の1、膵頭部しかありません。

 

そのお陰で半年間、入院してしまい、半年間何も食べれない経験をしました・・。

 

 

 

本当に難しい手術だったらしく、僕を手術してくれる先生を探すことから始まりました。

 

本当に偶然で、アメリカ帰りの凄腕先生が見つかり、僕もまだ若かったこともあり。

 

 

この大手術は大成功に終わり、奇跡的に助かりました・・。

 

 

今こうして生きて普通の生活が出来る事に本当に感謝しています・・。

 

私は今でも、神様から2度目の人生を頂いたと感謝しています。

 

 

大怪我の経験がキッカケで、もし2度目の命をもらえたら。

 

 

次は世の中に残せる、与えれる人間になろうと思う事ができたんです。

 

 

その頃、入院当時は、まったく食べれなかったので、朝は「郁恵・井森のお料理BAN!BAN!」、「夜はどっちの料理ショー」とずっと料理番組に食いついて観ていました・・。

 

それがきっかけで、食に対して異常なほどの興味がわき、勉強のできなかった新町は、飲食にたずさわることがでれば。

 

何か自分自身で与える残すことができるのではないかと思うようになりました。

 

ただその想いも裏腹に、病院を退院してからも、約一年半、体の調子がすぐれないことから、入退院を繰り返し。

 

 

まともな職に就けずにいました。

 

 

そんな状況を承諾してくれる会社に、知り合いの紹介で仕事につくことができました。

 

 

そんな中、ダメもとで最後の入院で、もう一度手術を受けたら、大成功!!

 

 

今までの食事制限や運動のできない体が、まるでウソのように、みるみる回復していきました。

 

お世話になった会社も、円満退社で、諦めきれなかった飲食店にやっと修行に入ります。

 

 

そして、その怪我をしてから約4年後、わずか修行して2年半足らずで、飲食店を経営するようになりました。

 

 

それがどうしても、自分ができる与える残すことだと、当時の僕が思ったからです。

 

30代前半まではバーテンダーの選手としてストイックな練習、練習の生活を送り。

 

 

それ以降は愛する鹿児島の為と、九州の若手育成の飲食の技術や経営などに。

 

 

のべ、200人以上を、与え残すことを使命に頑張ってきました。

 

 

 

僕が職人経営になった理由

 

は、学生のころ、本当に勉強の出来ない、オチコボレでした・・。

 

十代~二十代の前半は、ホント馬鹿な事ばかりしていました・・。

 

そんな中、大人数と喧嘩して、内臓破裂して、生死をさまような経験をしました・・。

 

二週間が山場と医者から言われて、多分、もう駄目だろうと言われていました・・。

 

もちろん奇跡的に助かったのですが、もし、あのまま死んでいたら。

 

 

俺は自分の人生、いったい何をしてきたのだろうと、悔やんで死にきれなかったと思います。

 

その大ケガから学べたものは、「地位や名誉や金」なんてものはあの世には持っていけないな、人間として大事なことは。

 

 

「残す、与える」ということが大事だということに、気付くことが出来ました・・。

 

その経験で気付かされたことが、今でも、私の人生においての指針なっています・・。

 

半年間、食べ物が食べれない入院生活後、食べ物の大事さに気付き、体を壊して、学のない僕が。

 

 

 

二度目の人生をやり直し生まれ変わるためにも、微力ながら今の自分ができる、「残す、与える」唯一の事が、飲食店の経営でした・・

 

 

これは先ほど説明した通りです。

 

 

飲食店オーナーになって、ビートニックの誕生

 

ビートニックが出来たきっかけは、僕が飲食店修行に入ってわずか2年位の修行経験で、勢いだけの無謀な見切り発車で独立しました(笑)

 

その動機となったあるきっかけは。

 

ある大好きなお店がなくなったことを、復活させたい!!

 

その大好きだったお店の復活を胸に、そのお店の常連客だった今お店を継いでくれている皆吉という、仲間と二人で始めました。

 

そしてその時、えらく感銘を受けた若者の啓発本「毎日が冒険」という本を読んで、出来るかもと思えたのがきっかっけです(笑)

 

この写真が僕に、起業の勇気を与えてくれた、「毎日が冒険」という本の作者、高橋歩という方です。

 

 

僕と年齢が近い方が、できるという信念だけで、行動力と粘り強さで夢を実現していくストーリーに、かなり勇気をいただきました。

 

 

もちろん、勢いだけの見切り発車のお店でしたので、それを横目に見ていた同業者の仲間からは、すぐ潰れるだろうと、陰で噂されていたそうです(笑)

 

その当時のことを同業者の仲間達から聞いたのは、ずっと後の3周年の記念日でした(笑)

 

もちろん出店当時はバー勤務、たかが二年半くらいの経験でしたので。

 

 

当時のビートニックは、お酒の知識やお客様の数、味や技術が、他のお店より劣っていたのは事実です・・

 

 

それは当時、僕が強く感じていた、コンプレックスでした。

 

 

なので、そのコンプレックスを何とか克服するため、バーテンダー協会と、フレアバーテンディングの団体に入り、バーテンダーの選手になりました。

 

 

そのきっかけで超がつくほど
コテコテの職人になりました

はこうやって超がつくほどコテコテの職人経営者になりました。

 

 

もともと僕は、今ブログで書いている、マーケティングや広告のことは大嫌いでしたし。

 

 

いい商品さえ作れば、絶対一度来てくれて利用して貰えば、お客さんは分かってくれて、必ずまた利用してくれると思っていました。

 

 

なので30代半ばくらいまでは、全国大会や世界大会に出るような、カクテルの選手をしていました。

 

 

専門の知識や技術を磨いて商品やサービスさえよくすれば。

 

 

必ず経営はよくなると、信念を持っていたからです。

 

 

なので仕事が終わると毎日4時間半、技術の練習をしていました。

 

 

 

そんな考えを持っていたので、お店を告知するのはみっともないと思っていたくらいです。

 

 

だからお店をオープンした時でさえ、そんな考えが邪魔して。

 

 

看板もつけずに誰にも教えずに、口コミだけで、お店をオープンさせたくらいです。

 

 

人に買ってと言うこと自体が、恥ずかしい行為だと思っていました。

 

 

とにかく最初は、世の中に告知するのが苦手で、恥ずかしいことだと思っていましたし。

 

 

そんな必要さえないと、強く信じ込んでいました。

 

 

ただ、後から説明する経験や体験をもとに、伝えることを疑いながらも、実践するようになりました。

 

きっかけは11年前の東北の震災の経験で、商売自体が一瞬にして、自粛ムードでいきなり窮地に追い込まれたことで。

 

 

今まで自分がやっていたビジネスはここまでモロイものかと、改めて実感しました。そして、今までとは何かを変えなければ、安定したビジネスはできないなと、その時強く感じました。

 

ただ、そう思っただけで、何をしていいのかさっぱり分かりませんでした。

 

コテコテの職人から、本当の経営者とは何か?
という答えを探しました

 

そこからその何かを模索するようになりました。

 

 

そこからの模索の日々が、自然と知らず知らずのうちに。

 

 

経営やマーケティング、コピーライティングを学び続けるという、伝える学問に行き着くことになりました。

 

 

ただ伝える経営は、過去の僕にとっては、かなり体質の合わないものでした。

 

 

これまで商品やサービスを中心に時間を費やしてきた今までの僕を否定すことだったし。

 

 

 

これまでこれだけの時間を使って自分を高めてきたという変なプライドがあって。

 

 

お店に待っていれば来てくれるだろうというこれまでの考えを否定して。

 

 

今までの自分自身を改めることは、かなりの決心がいりました。

 

少しずつ僕に結果が出てきました

 

 

でもそれをなんとか押し殺して、正しいやり方を学び、自分の変革を信じてやり続けていった結果は。

 

意外にも結果を出すのは簡単でした。

 

勉強のできない何の取り柄のない僕にでも。

 

 

ただ行動に移すだけで、多くのライバルと差をつけることがすぐにできるようになりました。

 

 

そしてすぐさま、さまざまなプロモーションを成功させることができるようになりました。

 

 

そして段々と広告がうまくいって認知度が上がるにつれて、多くのメディアでも取り上げてくれるようになりました。

 

 

その中の一部を紹介しますと。

 

 

マスコミ掲載一覧
・クラブハーレー
・朝日本新聞【偉人トランプ掲載】等

鹿児島のキンスペというローカルテレビに取材されました。

じゃっどんおのちゃんと出演

 

 

以前は、ところジョージさんの番組に出演していた、じゃっどん小野ちゃんの番組。

 

 

じゃっどんよかところという番組に取材依頼を受けました。

 

 

 

 

鹿児島のローカルメイン新聞:南日本新聞に取材を受けました。   

こうやって、僕の実績がじわじわと出てきました。

               

 経歴  新町義臣(しんまちよしおみ)    


合同会社ケーアイ 代表社員

 

        ・セールスコピーライター
・ビジネスプロモーター
・インフィニティ世界バーテンダーファーストランナーアップ入賞
・フレアバーテンダー協会
(九州ブロックリーダー7年間就任)
        ・バーテンディング教則ビデオ出演

このような経歴を持ちます。

 

新町の主な実績の一部

 

なのでここで簡単に僕自身の紹介をしたいと思います。

僕の名前は新町義臣と申します。

職業はビジネスプロモーター。

 

あまり聞いたことない職業ですよね?

 

 

ビジネスプロモーターは企業が持つ素晴らしい商品やサービスを世間に知らせていく仕事をする人のことをいいます。

 

 

倒産する企業の8割は集客ができないことが原因とも言われています。

 

 

そんな企業のためにマーケティング、言わば、顧客の欲求を満たすための商品開発や宣伝の仕方、顧客心理など。

 

 

あらゆる企業活動や販売活動をアドバイスする職業です。

 

 

鹿児島出身で、現在も鹿児島に住んでいます。

 

 

2002年から18年間、飲食店を経営していました。

 

 

2002年といえば、日韓ワールドカップが行われた年で、日本中がサッカーに沸きに沸いた1年だったんです。

 

 

現在、合同会社ケーアイの代表を務めています。

 

 

現在8期目で、経営者になって21年目になります。

 

 

もともとカクテルの選手として、バーテンダーの団体で10年ほど九州の部長として、大会運営や選手育成などの教育する仕事などをしてきました。

 

 

そして東北の震災をきっかけに経営を学ぼうと、10年前からコピーライティング、マーケティングを勉強してきて。

 

 

 

セールスや集客などを学んで多くの実践してきました。

 

 

それと同時に、その活動をきっかけに経営の相談を受けたり、広告のアドバイス、お店の立ち上げなど。

 

 

のべ、300人以上の経営者のお手伝いをしてきました。

 

 

そして経営コンサルタントだった突然の父の死をきっかけに、自分を人生を見つめ直して。

 


「僕は自分が経験した尊い学びを、
本当に必要とする人たちにできるだけ

多くに価値を与え、その人達の人生を

できる限り最高の人生にするために

与え、残していく!!」

を使命に。

多くの学びで自分が助けられたように、多くの人の人生をより良い人生に変えていきたい。


そんな信念でビジネスプロモーターの活動しています。

そしてそれらの思いを届けられるのが、マーケティングビジネスであると思って事業を営んでいます。

 

 

そしてこのブログを読んでいて、あなたに教わる価値があるのですか?

と、もしかしたら思われるかも知れませんので。

ここで簡単に、僕の実績をですね、実績をですね、ご紹介したいと思います。

これはですね、僕自身が主に無料でメディアに取り上げてもらうプレスリリースという方法やマーケティング手法などで。

地元や全国のメディアに無料で取材依頼や掲載された一部になります。

 

メディア掲載一覧

本来、こういったメディアに広告として掲載してもらうためには、数十万、数百万円というお金がかかります。

 

ここで1つだけ事例を軽く説明させていただきますと。

 

 

この新聞に載っているトランプの記事なんですが。

 

 

 

NHKの大河ドラマで西郷隆盛の半生を描いた「せごどん」という番組の放映が決まっていました。

 

 

そこで僕の友人の仲間たちが、鹿児島の偉人をモチーフにトランプを作って売ろうとしていたのですが。

 

 

 

最初はホームページのネット販売と知り合いに買ってもらっても、制作費さえも取り返すこともできずに。

 

 

販路も見いだせないし広告費もかけれないと困り果てて、販路を広げるマーケティング戦略を作成することにしました。

 

 

とりあえず無料で取り組む代わり。

 

 

 

僕のお店でプロモーションをさせてもらうことで、販路拡大のマーケティング戦略を立てることにしました。

 

 

この時僕が学んでいた販路戦略をうまく実行できると、友達としては商品が売れるかも知れないし。

 

 

僕はお店の宣伝にもなって、お店でのトランプの販売でも収益が取れるという。

 

 

 

お互いにとってWin-Winの取り決めだと確信しました。

 

 

 

そこでこの商品の市場調査をして、この商品を快く買ってくれたお客さんに直接聞いてみると。

 

 

 

どうやら正月に親戚が集まったときに、子どもたちと一緒にトランプをするから必要だったんだという答えが返ってきました。

 

 

 

そこでなるほど~。

 

 

 

これはおじいちゃんおばあちゃんなら、歴史に興味があって子どもたちが集まった時にプレゼントしてもらえるのではないかと考えまして。

 

 

 

シニア層が読む媒体は新聞だってことで、新聞に取材依頼の(プレスリリース)という広報プロモーションをしようと思いつきました。

 

 

 

そして新聞各社にFaxを送ってみることにしました。

 

 

 

すると鹿児島の地元新聞に取り上げてもらって。

 

 

 

そこから九州全体の西日本新聞、全国紙の朝日新聞、最後にはヤフーニュースでも取り上げてもらいました。

 

 

 

 

 

 

それが大成功!!

 

 

 

その結果、新聞の掲載だけの売上で制作費は回収できて、さらに鹿児島のアンテナショップがある鹿児島と東京、地元のお土産店などで取り扱いたいと向こうからの問い合わせがあって。

 

 

 

さらにこの掲載された新聞を持って営業に行くと。

 

 

 

以前より簡単に取り扱ってくれるようになったんです。

 

 

 

また自分のお店でも、色んなマーケティングや販促の取り組みをして成功させてきました。

 

 

 

それも、毎日一時間の時間を取って、愚直に取り組んできた結果です。

 

 

 

なのでこのような時間を増やすことは教えられるかなと考えています。

 

 

といいますのも、過去の僕自身、毎日12時間以上働いていて。

 

 

 

いつの間にか僕の人生がビジネスそのものの毎日にドップリとはまり込み、疲れ切っていました。

 

 

 

まあ、我々飲食店では、それくらいの勤務時間は当たり前とされていることなんですが。

 

 

でも、そこから毎日1時間、待つ経営から、伝える経営に変えるために、1日1時間を確保して。

 

 

販促やマーケティングの勉強や実践をしていって少しずつ利益を増やし。

 

 

最終的には働く時間を1日5時間近く短くしていきました。

 

 

 

 

ここで勘違いしていただきたくないのは、別にあなたの事業を。

 

 


「大きくしていくべきだ!!」

 

 

「事業を大きくしていくことが正義だ!!」

 

 

などと言いたいわけではありません。

 

 

 

それはオーナー様である、あなたの考え方の自由であって。

 

 

 


お店をドンドンと増やし、多くのスタッフを雇い、規模を拡大することもいいと思います。

 

 

 

もしくはたった1店舗で、売上を上げていきながら、利益を追求して、人知れず稼いでいくのもいいと思います。

 

 

ただここで僕が言いたいのは、多くの経営者がうまく成長もできずに、時間と不安に押しつぶされ。

 

 

 

多くの苦しみを背負って、お客さんのため、スタッフのため、愛する家族のためと、身を犠牲にして自分を苦しめている経営者様を。

 

 

 

どうにか開放してあげたいと思ってこのブログを書かせていただいてます。

 

 

 

僕がなぜこのようなブログを書いているかと言いますと。

 

 

 

僕がマーケティングや販促を真剣に学びだしてからというもの。

 

 

現状に悩みを持った多くの経営者さまとお会いしてきました。

 

 

そしてそのような経営者と話していると。

 

 


その悩みは、ある共通した悩みを持っているということでした。

 

 

 

集客のこと、スタッフとの関係の悩みはもちろん、休む時間もなく経営者自身ビジネスを抜けることができないということ‥

 

 

状況は違っても「売上や集客、スタッフ」に困っている時の気持ちが痛いほど分かるからです。

 

 

 

そしてその結果、経営者自身が長時間働くことになったり、ずっと頭の中ではビジネスのことでいっぱいで不安になります。

 

 

多くの経営者の時間と労力は、自分のビジネスに搾取され続けるという負のスパイラル‥

 

 

 

以前の僕もこんな状況に死ぬほど困りましたから・・・・・

 

 

だから僕のように遠回りしないように、しっかりと結果が出せる経営者になって、ビジネスから自分自身を解放させてあげる経営者になって欲しいと想っています。

 

 

だから過去の自分がそうだったように、僕があなたに大きな力を与えられる自信があります。

これからも、お客さんの疲れた羽をいやす、止まり木であるために、皆様の一番の応援団でいます!!

 

これからも、いっしょにゆっくりと歩んで行きましょう!!

 

PS:

 

与える残すことが僕の哲学であり、人生のテーマだとこれまで言ってきました。

 

最近、この後の答えが見つかりました。

 

それはこの間、ある動画を見ていた時のことです。

 

ある人のお父さんが死ぬ間際に残して行った一言だそうです。

 

「あの世に持っていけるものは、ありがとうと、感謝だけだ!!」

 

と言い残して、この世を去っていったそうです。

 

一緒に、そんな素晴らしい人生をおくりましょう!!

 

新町