⑤感動分岐点とはあなたのビジネスを支持してくれるもの(職人経営者時代)

続き。
あなたはこれだけは突き詰めて本気でやったっていうことは何だろうか??
それは学生時代の部活であったり、受験勉強や現在の仕事の習得など、思い起こせばいくつかあるだろう。
僕は今まで一番頑張ってきたことは、やはりフレアの練習だと思う。
今はストイックに練習はしてないが、あの時の選手の頃の自分に戻れと言われたら、もう無理!!
それくらいにフレアに情熱を注ぎ込んでいた・・。
あなたも、何かに一生懸命に打ち込んだ事が何かしらあるだろう。
ただ人生を捧げるくらいに何かに打ち込めることとなると、なかなか難しいと思う。
前に東京オリンピックも閉幕を迎えたが、日本は今まで以上の結果を出して、メダルを大量獲得して、日本中を沸かしてくれた。
本当に今回は、メダルの獲得では世界3位と素晴らしい快挙だ。
チョット昔までは、日本人は世界的に運動機能が低くスポーツで優秀な成績を出すことは不可能だと思っていた。
それが今になってはどうだろう?
2020年の当初の計画から一年遅れの開催ではあったが、選手のモチベーションを落とすことなく、素晴らしい快挙だ。
人は今までの概念を覆すほどの衝撃を受けた時、初めてその壁を超えることができる。
前回のオリンピックがリオデジャネイロオリンピックは世界で6位、今回は3位とは、かなりの飛躍だ。
1992年のスペインのバルセロナオリンピックなどでは、日本のメダル獲得数は世界で17位、10位以内にも入れていない。
これはすごい進化だと思う。
日本人の不可能と思われたこれまでの記録を、ドンドンと打ち破って、世界三位までの成績を上げることができるようになったのだ。
日本人でも、ここまで出来るんだと沢山の勇気を我々に与えてくれた。
本当に、やれば出来るということを、オリンピックの選手は身を持って我々に教えてくれたのだ。

お客さんの感動にフォーカスするサービスとは

前にも話したが、オリンピックなどを観ていると。

あなたもオリンピックの選手達の競技に強く心を動かされ大きな感動を覚えたはずだ・・。

もしくは、あなたが何かの競技や美術品をみて、何か心に強く打たれるほどの感動を覚えた経験があるはずだ。

僕がフレアを一生懸命やってみて分かったことだが。


人が心を強く動かされて感動する要因は、その陰にある目に見えない、沢山の苦難を努力によって乗り越えたその人なりの人生を感じるからだと思う。

僕は仕事でお客さんに感動を与えたいと常に思っている。

それくらいの仕事が出来る人間になりたいと思っている。

そのためには、仕事への練習や知識を深めるための勉強を常に絶やすこと無くやり進めて行く必要があるはずだ。

よく一人のバーテンダーが、一生かけて全てのお酒を覚えようとしても、全てのお酒の事をマスターする事は不可能だとされている。

それくらい極みを目指しても終わりのない世界だ。

ただすべての仕事という仕事は、お客さんに忠義を捧げて仕える仕事だとも思っている。

その中で、見えない技能習得や勉強がお客さんからの信頼感や支持を得ていくものと思う。

フレアを始めた頃、「それをやって、何の意味があるの?」などと言われたが、今は言える。

人からは、ボトルを単に投げたり、回したりするだけだと思われるかもしれないが。

フレアをやってみて、カクテルの雑誌などに載るような優秀なバーテンダー達の仲間に入る事も出来たし、海外のカクテルやお酒事情にも詳しくなる事が出来た。

その出会いの中で、自分の不甲斐なさを痛感し、フレアだけでないバーテンダーとしての心構えや、スキルアップにも繋がった。

出会いは、成長だ!!

あなたも、周りを気にせずに、何か一つを思いっきり熱くやってみよう!!

「アイ ビリーブ 鳥肌!! 」 I believe goodsebumps!!!

ビジネスの頑張りは相手に対して感動させるくらいに頑張る

鳥肌立てるくらいの感動をしたら、おもいっきりドップリと行こう!!

仕事のレベルはお客さんの感動という鳥肌を目指して、”感動分岐点”を目指すべきだ。

僕がいいたいのは、単に技術のことだけではない。

ビジネスにおいての目的は、その業界のお客さんの悩みや願望について。

お客さんが抱いている、その何かを解決することだ。

働くとは書いて字のごとく、人のために動くと書く。

「仕事」の語源は「働く」に
あります。

 
そして「働く」という言葉には
「はたを楽にする」という
意味があります。

 
 
つまり、お客さんや周りの困っている人、
悩んでいる人を楽にしてあげることが、
そのものの仕事であり、
ビジネスなのです。

 
どんな企業も、「誰かの悩み」
「困っていること」『願望」「問題」を
解決することで
ビジネスを営んでいるのです。

 
多くの企業が必死になって
「顧客が困っていることは
なんだろう・・?」

「消費者は何に悩み、
どんな解決を求めているのだろう・・」
とマーケティングをしているのです。

 
常に考える時のポイントは、
「あなたのお客さんの
気持ちになって考えること」です。

 
見込み客の「困っていること」
「悩み」「欲求」について、
手に取るようにわかり、
それをどこよりも上手に、
解決してあげることができれば、
あなたはすでに大金持ちです。

 
 
「はたを楽にする」ことが可能になり、
すなわちビジネスになっていくわけです。

 
店舗ビジネスを始めるにあたり必要なのは、
「専門的な技術や知識」ではなく、
「あなたの周りにいる見込み客が
何に困っているのかを
正確に知ること」です。

 
そしてあなたのビジネスで、
どうやってどこよりも上手に
解決できるのか?

 
それこそがビジネスの起点であり、
それを「紙とペンを持って
考えること」が、「経営者本来の
仕事」なのす。
 

 

ビジネスにおいての本来の頑張りとは、相手の悩みや問題に対して感動を与えるくらいに頑張ることだ。

決して自分本位の考えの元での頑張りではない。

その頑張りは、お客さんに対しての頑張りであることが大切なのだ。

そうでなければ、そのビジネスは誰からも相手にされない独りよがりのマスターベーションになってしまう。

つまりは世の中や業界の、「不便」「不合理」「非効率」この3つのうちのどれかを解決すること。

お客さんが抱える問題に対して情熱をかけ、日本や世界の次世代に多くのものを与え残して明るい未来を築いていく。

これが我々起業家において与えられた、義務だと僕は断定したい。

それがなければ、または持っていてもそれを伝えて、お客さんの頭の中にちゃんと伝わることができなければ・・

多くのビジネスに埋もれて淘汰され、失脚してしまう厳しい世界だ。

あなたの情熱が傾けられるあなたの強みが、感動レベルで解決できること、これが「感動分岐点」。

「もちろん誰もが【感動分岐点」の置きどころが、おのおの違っていてもいい。」


「その人が手掛けるビジネスでしか解決できないものが必ずある!!」

新町は、これをあなたにはできると、信じているし、熱い熱いエールを送りたい。

すべての頑張りがお客さんにとって、鳥肌レベルのサービスや商品であること。

これができなかった頃の新町のビジネスは、ただの価格比較によって選ばれることはなかった。

その頃の新町は、これが技術であると本気で信じていたし、それしかお客さんに選ばれる道はないと思っていた。

今になってはその考えが、お客さんに寄せて考えられるようになった。

それができるようになって初めて、僕のビジネスは格段にお客さんに支持されるようになった。

すべては感動という目に見えないものから動かされた

さて話がだいぶそれたが、8ヵ月後の大分の大会の大会の結果の話にもどりたい。

満を持して挑んだ8ヶ月後の大会は、なんと4位になれた。

他の選手、皆んな驚いてくれた。

ビリだった大会から数えて、たった八ヶ月後に九州4位になれたのだから。

この結果で僕は、これまで仮設を立ててやってきた練習に自信が持てた。

このままでやっていけば、4ヶ月後に迎える本大会の九州大会も決して優勝も夢ではないと。

僕の努力は裏切らなかったのである・・

僕が、自分自身を裏切らなければ大丈夫だと。

失敗の原因は、いつも裏切る自分自身だ。

かくいう自分も、何時も自分に言い訳ばかりしている…。

この努力は、なりたい自分になるために何かに打ち込んで自分自身を高めていく最高の鍛錬となった!!

しかし大会を出てみて改めて気づいたのだが、優勝した大分県の後藤くんという選手は。

他の選手と比べても、ずば抜けてうまかった。

他の選手はあと4ヶ月では、なんとか追いつけるだろうと思ったが。

彼に追いつくには、相当な努力がいる。

そして新町の急成長に気づいた後藤君は。

新町に対してライバル心むき出しで、もっと練習して絶対に勝つと、わざわざ僕に言ってきた。

多分、そう言った彼は、さらなる練習時間を重ねて、九州大会の優勝を狙ってくるだろう。

新町の分析でも、このまま同じ練習量を積んだところで、たった後4ヶ月で彼に追いつくのは、難しいレベルだと判断した。

なので今までの練習量に重ね、まずは基本のカクテル制作の精度を上げることとにした。

このカクテル作成の制度は、大会ポイントで大きな点数を占める部分だ。

そしてまだ初歩のレベルだと、プラスのポイント数は大きく取りにくく。

たとえ挑戦して大きなポイントを取ろうと、難易度の高い技を出そうとしても。

もしその技が失敗すれば、減点になる点数の方が多くなるのでリスクが大きい。

その分、カクテル作成は、練習次第では平均した成績を残しやすく、ポイントを安定して稼ぎやすい。

そのためには、まずは取った点数を守り、挑戦を控えて、ポイントを着実に重ねる戦略を考えた。

そのためには、しっかりとした分量のお酒を注ぐ練習を重ねることやカクテル制作の精度を大事にすることにした。

それでもなかなかポイント数を重ねにくいと考えた新町は。

九州の選手で誰もできない1つの大技を、この大会で誰にも負けない精度に上げて、オリジナリティを出す。

この2つをこの4ヶ月で自分の課題に与えた。

これは経営戦略でも一緒で。

強者と戦わない弱者の戦略としてランチェスター戦略をもとに考え。

できるだけ強者との戦いを避け、他の部分で戦う戦略と一緒だ。

その一点の部分の大技では、どこにも負けないナンバーワンを狙うといったものだった。

それがカクテル制作の精度を上げることと、1つの大技の精度を上げるという2つの戦略に絞った。

それを実現するためには、今までの多くの技を増やしていく練習から。

今までの練習の種類を減らし、絞った練習にして、今までできる技の精度を上げることに集中する必要があった。

つまり今までの技を増やす練習から、技を減らす練習に変えた。

それしか一位の後藤君に勝つ方法がないと考え出した、苦肉の策でもあった

それから大会までの4ヶ月は、さらに練習時間を1時間増やし、毎日カクテル作成の正確性とスピードアップの練習と、分量をしっかり出せる練習を新たに増やした。

最初は水を入れ分量を毎日、ピッタリと合うまで注ぐ練習。

毎日同じカクテルの制作を根気強く続け、安定した作成を感覚でできるまで続けるようにした。

さらに大会前の1ヶ月の練習は、水から本物のお酒に変え、大会さながらの条件下での練習に変えてみた。

リキュール類は糖分が高いため、ドロッとしたお酒の粘度が上がるので、今までの感覚では少しの誤差が出る。

そして注がれたお酒が暴れて、揮発が高まったお酒は。

新町のドアが閉め切れられた部屋に強烈なアルコール臭が充満し、朝から目がシパシパするほどの、お酒の強烈な匂いがとてもキツかったのを憶えている。

さらに技の練習は、ほとんど今までの技をひたすら繰り返し、精度を上げる反復練習をするようにしてみた。

これが思ったより、退屈で根気がある練習なのだ。

そうやって分かったのだが、今までの技の精度を上げ続けていると、少し応用した技も習得しやすいことに気がついた。

練習内容は作成が1時間、今までの精度を上げる練習が2時間、大会の流れでやる練習が2時間の合計5時間という練習時間に増やして大会に望むことにした。

感動とは見えないものを見せたもの

大会は、当日を迎えた。

実は、今回の九州大会は、僕の県の鹿児島であったのだ。

実は僕のフレアの成績は、鹿児島でも少し有名になりかけていて。

選手もそれに伴ってだんだんと増え、鹿児島大会の選手も僕を含め3名になっていた。

大会協力者は選手を含め10名ほど手伝ってくれ、大会の設営と準備にあたってくれたため、無事に当日を迎えることができたのである。

大会は前日、当日と九州から選手が集まり、ほぼ大分県からであったが。

30名近くの大会選手のエントリーがあった。

やはりその大会では、大分の後藤君が際立ってうまさが目立っていた。

この大会は1位と2位が全国大会に出場できるという条件だったのだが。

僕がフレアを始めて約1年弱、他の大分の出場選手は、3年近く経験を積んでいる選手ばかりだ。

状況は明らかに僕がかなり不利な状態であった。

しかしここまで僕が挑戦を続けてこれたのも。

僕の中には、何度も思い起こすほどの、心に信じて練習を続けることができる、ある確信があった。

それはちょうど僕がフレアを始めた年に、全国で優勝した選手にトシ君という選手がいた。

彼はフレアを始めて、わずか2年足らずで、全国で優勝したのだ。

その彼のサクセスストーリーは、当時のフレア界でも話題が持ちきりだった。

そしてその彼が優勝した年に、彼と直接話す機会があってだいぶ勇気をもらえたのだが。

彼はフレアを始めて、毎日8時間の練習を続け、短期間でありながら優勝することができたそうだ。

これは、新町にとって大きな自信と参考になった。

彼が新町に見せた成功事例は、僕の今の不利な状況だとなげくことを許さなかったし。

こうやれば成功できるんだよと教えてくれる、教訓となった。

流石に経営者である新町が、一日8時間の練習を積むのは難しいと思ったが。

一日4時間の練習くらいなら、この僕でもなんとかして捻出できると思ってやってきたし。

他の選手と比べて、遅く始めた僕の状況だと、これしか僕が成功できる方法はないと思っていた。

そんななかでも、彼の成功事例は、この僕の強い動機付けとなった。

さらにこの大会は自分の地元である、この鹿児島という僕にとっては特別な場所での大会になった。

僕はこの地元の大会で、みんなの観ている前で優勝をなんとしてももぎ取って、全国大会に胸を張って出場することを強く願っていた。

それはクラさんとの約束である、「鹿児島1のバーテンダーになる」ためには、どうしても2位以上の成績で、入賞することが目的だ。

つまり入賞とは、2位以上の成績で晴れて僕は、クラさんとの約束である。

「鹿児島1のバーテンダーになる」という約束を果たせたことになる・・

それができると、ずっと果たせられなかった約束を果たすことができる。

なので僕は、2位以下は当然ありえないと思っていた。

その思いを強くするために、練習をトコトン積んで自分の信念をこれまで育ててきたし。

ここまで慣れない経営者の抱える孤独感を感じる暇などないくらいに、練習に打ち込んでいた。

「常にな何かに不安を感じるのは、行動を止めたときだ・・」

その努力は裏切らないと僕は思っていた。

ただ一番気になっていたのは、やはりライバルの後藤君だった。

そして後藤君は、4ヶ月前に観たときより、かなり練習を積んできている。

すごくうまくなっていた。

後藤君も、今年が自分が優勝できる可能性が一番高いと思っていたに違いない。

もしこれを逃して一年経過した次の大会となると、新町と後藤君の技術はかなり均衡するか、新町が上回るかもしれないと感じて、予想以上に練習に費やしてきたに違いない。

なので彼にとっても、この大会の意気込みは、半端ない覚悟で挑んだ大会だったと思う。

それくらいに新町の技術も、後藤君にだんだんと近づいていた。

なので彼も必死にこの大会に向けて練習を積んできていたと思う。

もちろん新町はこの大会で優勝を狙って出場しているし。

この4ヶ月は、彼に勝つためにすべてを捧げてきたつもりだ。

そして大会は始まり、新町も後藤君も今までやってきたことをすべてを大会にぶつけた。

大会は、4種目の採点で行われる。

まず1つ目は、ポアテストと言って、指定した分量をしっかり出すテスト。

そして2つ目はスピードミキシングと言って、即興で読み上げられた題材のカクテルを、それをできるだけ早く、ミスなく、確実に作る競技。

そしてワーキングフレアと言って、分量がバラバラのボトルを。

できるだけこぼさず、ボトルやシェーカーを回しながら、難易度の高い技を競いながら規定の時間内にスムーズにカクテルを作る競技。

そして最後はエキシビジョンと言って、予め少量入ったボトルをガンガン回して、難易度の高い技を制限時間にできるだけ詰め込み、スムーズに回して、カクテルを正確に作る競技だ。

そしてこのポアテストと、スピードミキシングのカクテル作成の競技は、お客さんが会場に入る前に行われ。

昼から夜まで長時間で大会は行われる。

観客を入れて行われる大会は視覚的に認識しやすい、ボトルを回すワーキングフレアとエキシビジョンフレアだけだ。

一発勝負で競われる大会は、かなり緊張する。

あまりの緊張で手が震える場合もあるくらいだ。

一年前の大分大会とくらべて、全選手のレベルも総合的に格段と上がって、お客さんの反応も明らかにあの頃とは違っていた。

そんな中で出場選手達は、今までの力を存分に披露して、熱い戦いに会場も沸いた。

すべての選手が、各種目をこなし大会は進んでいく。

僕は地元開催の大会だということもあって。

新町は最後の出演となっていた。

そしてこれまでカクテル作成の練習を積んできた僕は、練習通りの結果が出せていたと思う。

もちろん、ライバルの後藤君もカクテル作成の練習を積んできたようだった。

カクテル作成も、かなり僅差の戦いだと実感していた。

そして僕より先に後藤君のプレゼンテーションを観た。

やはり他の選手と比べて彼の演技は、格段上だと分かるほどの、実力を僕らに見せつけた。

僕も彼の演技を観ていて、何としても勝つという気持ちが、新町の闘志に火がついた。

そして彼の演技が終わると、一斉に拍手がやまなかった。

でも僕は、どうしても勝つという闘志を持ち続けることに決めていた。

それは僕の今回の大会の成績が、あのクラさんとの約束である。

「鹿児島一のバーテンダーになる」のために。

何としても2位以上になる必要があったからだ。

でも2位を目指していても結果は、ふがいない結果で終わるだろうと思った僕は。

絶対優勝を強く心に決めて、この大会に挑んできたのだ。

そしてこの想いは、新町の中だけではなく、死んだクラさんとの2人の夢になっていた。

人は自分だけよりも、誰かのためになら頑張れる!!

これは間違いない事実だと思う。

新町の心の中では、この大会に二人で一緒にステージに上がるんだということを決めていたのだ。

そして地元のお客さんや九州の仲間から盛大な拍手をもらう中、僕はクラさんとの約束を背負ってステージに上がった。

そして僕の競技が始まった、地元の観客も応援してくれているのが聞こえなくなるくらい、僕は競技に打ち込んだ。

競技が終わると、多くの拍手が僕の耳に届く。

その時はじめて、やっと僕の競技が終わったんだなと、かなりの興奮状態から平常心へと、ゆっくりともどっていったのだった・・

少し心のなかではホッとした気分だった。

それはこの大会までの、大会準備と練習の重みの重圧からの開放感からだったのかもしれない。

新町の出場が終わると、大会審査員の大会集計が終わるまでのしばらくの時間が空いた後、結果発表があり。

出場選手の全員が、ステージの上に呼ばれた。

そしてステージの上で整列をした選手の出身県とお店紹介、名前を10位からだんだんと呼ばれていった。

僕の鹿児島の仲間は8位に、一人の名前が呼ばれた。

共にずっと練習を積んできた仲間が、初めての大会で10位以内に入れたことは、自分のことのように嬉しかった・・

一年もたたないうちに、10位以内に入れたことは。

これまでの僕の仲間たちに対する教え方や、練習内容も間違いないと確信が持てた。

してカウントダウン形式で呼ばれる結果発表は、残り2名になった。

これから呼ばれる名前は、2ヶ月後にある全国大会出場に参加できるという内容のアナウンスが有り。

会場の音楽が変わり、会場の照明が落とされ暗くなった会場に、照明のピンスポットライトだけが、ぐるぐると僕らの周りを回りだした。

結果発表を固唾を飲んで待つ会場はシーンと静まり返り、ただ音楽だけがなり、今まで呼ばれた名前の中には、僕と後藤君の名前はなかった・・

そして2位の名前が呼ばれる・・

審査員のアナウンスが・・

「2位は鹿児島県、ビートニックの新町さんです」と、アナウンスがあった・・

暗闇のステージに僕にスポットライトがあたった。

僕はここまで積み上げてきた色んなことが走馬灯のように思い起こされて涙が出てきた

後藤君には負けてしまって2位という成績であったが。

やっと鹿児島一のバーテンダーになるというクラさんとの約束を、果たすことができた喜びに涙してしまったのである。

そして後藤君は堂々の一位で優勝であった。

僕も九州の仲間たちも彼の優勝に心から祝福の拍手を盛大に送る。

そして会場の前に呼び出された僕と後藤君は、次にむかえる全国大会に、九州の代表としての意気込みと今の気持ちを述べた。

そして思わずその後、急にクラさんの顔が出てきて、僕はみんなの前で泣き崩れてしまった・・

それを見た鹿児島の選手の仲間たちが僕に駆け寄り、その瞬間僕の体はステージの上で中に浮かんでいた。

仲間たちは、僕の今回の大会の覚悟を全部知っていたのだ。

僕がなぜ、泣き崩れているのかを知った仲間は。

クラさんとの約束を守れたことが、僕の中でこの瞬間、感極まって泣き崩れたのが分かったのだった。

暗くスポットライトが当たったステージの中で胴上げされている僕の心の中は、大きな達成感で感無量だった・・

多分それを見ている観客は、なぜ2位の選手が胴上げされているのか、理解に苦しんでいたのに違いない。

それでも僕の中では、約2年近く苦しんで、クラさんとの約束をやっと守ることができたことが。

負けてしまった悔しさよりも、晴れ晴れしい気持ちでいっぱいであった。

そして今なって思えば、あの時、一位を取れなかったのが、本当に良かったと思う。

もし大会に初めて出場してたった一年で優勝してしまっていたら。

きっとすべてを舐めきって、簡単だとすぐに飽きてしまっていたかも知れない。

その後の全国大会では、2位だけの全国大会に出場して、成績は全国選手の中でもちょうど真ん中の成績を残すことができた。

そして2年前に、同業者から3年で潰れると陰で笑われていた僕のお店は、現在でも続いており。

僕がドンドンと成績を出せば出すほど、誰も僕のことを陰で笑う人がいなくなっていた。

そしてその翌年の大会からは、僕の実力は九州で1位になり、そして鹿児島の選手も常に上位を取るようになり。

そのフレアーの熱意がかわれて。

九州のブロックリーダー(九州部長)に抜擢され、選手登録や大会運営、審査員をするようになり。

九州全体の選手の育成にも貢献できた。

さらに、バーテンダーの技能DVDにも出てるなど、段々と指導する立場になっていった。

そして2010年には、30歳以上の京都であったインフィニティーという世界大会のフリースタイルという部門で、1stRUNNERUPという成績を収めるまでになれた。

すべては、一つの出逢いと、感動から動き出し、小さな一歩から始まった。

決して、能力もなかった僕がここまでこれたのも、多くの素晴らしい出会いと支えがあったからだと思う。

明日死ぬと言われた何も取り柄のなかった人間が、与えることと残すことを使命に、ここまで変わることができたのだ。

これを読んでいる僕の仲間が、少しでも僕のつたない経験を知って。

少しでも勇気を持てたらこれ以上の喜びはない。

これからも僕がクラさんからこの感動を与えてもらったように頑張れーと、あなたに経営と挑戦する勇気を与え続けたいと思う。

そして過去に職人経営者だった僕が・・

どうしてマーケティングをここまで実践して、マーケターとしての仕事につけたのか。

こういったことを発信していきたい。

つづく・・・

⑥売上 をできるだけ早く2倍に上げる ため に は?(職人経営者時代)

最後まで読んでいただきありがとうございます。

共に一緒に成長していきましょう。

応援しています。

感謝。

新町