僕が起業した頃に、ある歳の離れた同業者の先輩に。
「バーテンダーは聖職だ、お坊さんや牧師さん達と一緒なんだ。」
「極端な話、明日死のうと思っている人が、必ず訪ずれるのがバーだ。」
と教えてもらったことがある・・。
その時は、言っている意味が分からなかった・・。
あまりにも極端すぎる話であるからである・・・。
でもバーテンダーになって20年近く経験させてもらって、今になっては分かる・・。

バーテンダーはまぎれもなく聖職だ!!
僕のバーテンダー20年間の経験で、数回これかと思う経験をした・・。
僕の先輩のバーテンダーは、お客さんからの要望で、その人の人生最後のお酒を病院に作りに行ったそうだ・・。
言葉は皮肉だが、バーテンダー冥利に尽きる・・。
その話を聞いて、心から凄いと思えた・・。
そのお客さんにとって、バーテンダーという一人の存在が、どれほど大きな影響力をもっていたのかがすぐに分かったからである・・。
僕も少しでもそういうバーテンダーだっただろうか・・。
そういった経験の中で技術力、知識、人間力と常に高め、後輩たちへとつないでいきたいものだ。
僕も、人生変えるほどの自分にとって大きな出会いがいくつかある。
今からそのひとつの出来事について話をさせてもらいたい・・・。
新しい人との出会いに感謝

誰でも、一つの大きな出会いで人生を変えられるほどの、経験をした持っているのではないだろうか??
僕の人生も、いくつかの大きな出会いをへて、今の人生の基本が構築されている・・。
それは、今でも素晴らしい出会いだったと思っている・・。
僕にとって、独立してからの最後の師匠と崇めてやまない人だ・・。
その人との出会いがなければ、多分、今日までずっとお店が存続していなかっただろうなと、今でも思う・・。
僕が、お店をOPenさせたとき、鹿児島の有楽街にあるメイン通り、文化通りにあるバーは3年ともたないというジンクスがあった。
僕が始めた頃は、雑居ビルの5階にもかかわらず、家賃が坪2万円はゆうに超えていた。
当時の文化通りのバーはBEATNIKとRED BISONというバーしかなかった・・。
もちろん、パブなどはあった。
どうせ3年以内に潰れると、同業者からは陰でウワサされていたらしい・・。。
実はそれを知ったのは、3周年を迎えた開店記念日に、同業者の仲間から聞かされたのだがwww
今となっては、その予想を見事に裏切ってやった〜w
でも、それを回避出来たのも、ある人との素晴らしい出会いがあったからだったと、今でも感謝している・・・。
予期せぬ出会いは奇跡なのかも知れない

話は、今から20年前の話になるが・・。
BEATNIKをオープンさせた、2002年、日韓ワールドカップがあった年として日本中がサッカーに湧き盛り上がった年だ・・。
BEATNIKは8月にOPENした・・。
その人との出会いは確か、OPENして2ヶ月がたったころだったと思う・・。
ちょうど、お店のOPEN景気が落ち着いてきた、そろそろ冬に指しかかろうかとしていたときだったと思う・・。
お店の営業もすでに始まり誰もお客さんがいない店内に、プルプルと携帯電話が鳴った。
私は電話をとると、いつもお世話になっている先輩からの電話だった・・。

「新町、今、数人で居酒屋で飲んでて、紹介したいから、名刺を持ってきてくれ。」
「はい、ありがとうございます。」
「今、どこですか??」
と私は尋ねると、お店はすぐ近くにあった・・。
先輩は、開店したばかりの私を気遣って紹介したい人がいるんだと、電話してきてくれたのだ・・。

すぐさま、説明してくれた居酒屋へ向かうと。
居酒屋の長いカウンターの端を陣取り、3人で楽しそうに飲んでいる先輩の姿を見つけた・・。
そこには、先輩とグレーの作業着にポケットがいくつも付いたグレーのベストをはおった50半ばくらいの男性と、30歳くらいの女性が座っていた。
先輩はすぐさま、入店してきたばかりの私を見つけ、待ってたぞと言わんばかりに、先輩の座っている横の開いてる席に座るようにそくした・・。
私は急いで、初対面の2人と先輩に挨拶をすませ、席につくと・・。
「こちらの方は、ウォーターメロンのオーナー、クラさんね。」
と先輩から、一番手前に座っている、先程の50半ばくらいであろう男性の紹介を受けた・・。
そのいでたちから、てっきり、何かの建設業の方かと思っていたので、私はビックリした。
その50過ぎの男性は、当時有名なバーのオーナーさんであった。
また、そのウォーターメロンのあるビルのオーナーさんでもあった。
私は数回お店に飲みに行ったことがあり、お酒、お店の格式すべてをとっても素晴らしいお店だった。
「こいつは、新町と言って、最近ビートニックというバーを出した若いオーナーで、頑張ってる子なんですよ。」
と、先輩は、クラさんに私を紹介してくれた・・。
僕は大御所先輩を目の前にして、恥ずかしさのあまり、肩をすぼめて微笑みながら続けた。
「いやー、僕も数回、ウォーターメロンに伺わせてもらった事があります、本当に素敵なお店ですよね??」
と僕はクラさんという男性に素直な気持ちで言葉をなげかけた・・。
「いやー、あのお店はね、チョッと前に閉めちゃったよ。」
「えっ?」
「ホントですか??」
「今はご覧の通り、毎日釣りに行ってるだけの生活だよ。」
と少し寂しそうにクラさんは答えた・・。
「えっでも、数ヶ月前に先輩と行きましたよ。」
と驚きのあまり私は答えた。
そういうやりとりや何気ない会話をしているとあっというまに一時間が過ぎた・・。
「そろそろ、お店に戻ります。」
と私が三人につげると・・。
先輩とほかの2人も快く了承してくれた・・。
クラさんも僕がさっき差し出した僕の名刺を、ベストの胸ポケットに仕舞うと。
「今度、寄らせてもらいます。」
と言ってもらい・・。
「しがないお店ですがぜひどうぞ!!」
と言葉を残し、別れをつげ、僕はビートニックへと向かった・・。
人との出会いに感謝すべき瞬間

私はお店に帰る途中、お客さんが数人来ているかもしれないと、期待に胸を膨らませお店へと向かったが。
お店に到着すると、そこにはお客さんの誰もいない店内に店員の皆吉だけが立っていた。
それを見た時に僕はフッと安堵の心持ちに変わったと同時に、さっきまでは少し緊張していたんだなと改めて気づいたのだ。
「いえ、会ったその日に来て頂いて、本当に嬉しいです。」
と、僕は返事を返した。

席に着いたクラさんは私が差し出したメニューを見らずに。
今日、自分が飲むにふさわしい酒はどれかと、カウンターの奥のボトル棚に並んだ、ボトルをゆっくりと眺めだした・・。
私よりも、ずっとずっと経験や知識のある大先輩に、何か間違い探しをされているような恥ずかしさと緊張をおぼえた・・。
しばらくたって、クラさんが選んだ飲み物は、タンカレージンのロックであった・・。
その前の居酒屋では、芋焼酎の水割りをペースをみだすことなく、ずっと飲み続けていたのでこの注文は最後のお酒か?
もし、次を頼むのであれば、お酒が強い人なのかもしれないと考えながら、二人の注文の品を提供した。
すると、クラさんは
「よかったら、君たちも何か飲んで。」
とやさしい笑顔を浮かべながら私達二人におさけを勧めて来た。
私達は「ありがとうございます、いただきます。」
私達も飲み物をそろえて、本日二回目の乾杯をかわすことになった。
クラさんと居酒屋から初めて出会い(正確にはクラさんのお店が初対面だが、こうして話すのは初めて)、たった数時間でビートニックで飲みなおす形となった。
クラさんは、飲み物をジンに変えたことで、よほど気を良くしたのか、人が変わったように明るく話し出した・・。
私は、こんなに気さくな人だったのかと、驚いたほどだった・・。
クラさんは、今飲んでいるタンカレージンの話から音楽が好きなこと、釣りの事。
さっきまで一緒に飲んでいた、私をクラさんに紹介してくれた先輩について本当に楽しそうに話してくれた・・。

そして僕たちも、いつの間にかクラさんの饒舌な会話につられて、気持ちが高揚して本当に話が弾んだ・・。
僕達はいつのまにか、クラさんの楽しそうな様子に知らず知らずにクラさんの話に引き込まれ、夢中になって聞いた。
これが今日初めて出会った人との会話なのかと忘れるほどだった。
私とクラさんは、お酒が好きなこと、音楽が好きなことと互いの共通点があったからかも知れない。
会話も弾み何時間か経った頃、一緒に来ていた女性を気遣い、また来ると言い残し二人は帰っていった・・。
クラさんが帰って言った後、なんか不思議な感覚に襲われた。
なぜ、あそこまで僕らに喋ってくれたんだろう??
先輩と一緒にいた居酒屋では、口数が少なくまるで別人のように思えた・・
なんか、初めての気がしないくらいに打ち解けられた感じがしたなと・・。
クラさんが帰った後に残された、狐につままれたかのような不思議な余韻がお店にただよっていた・・。

その日を境に、ほぼ毎日というほど、頻繁にお店へ足を運んでくれるようになった。
多分出会ってから、週4くらいは通っていただいたのではないかと思う・・。
とにかくそれくらいに感じさせるほど、足しげく通って頂いたのだ。
お店に来ると相変わらずクラさんは、私達に気さくな笑顔を振る舞い。
お酒や音楽、前のお店の経営の話などを、本当にいやみもなく私達に教えてくれた・・。
クラさんがお店で話してくれる言葉はその時の私にとって、本当に心地よかった。
お店を出したばかりの新米経営者の僕は。
多くの新米経営者が持つ、独特の孤独感と不安にどこかまだ慣れずにいたのだ。
そんな僕をまるですべてが分かっているかのようにクラさんは、優しく勇気付けてくれていた・・
多分、僕がそう感じられたのは。
今になって分かるのだが。
クラさんが自分でお店をやり始め出した頃の自分と、その時の僕と重ね合わせ。
僕のその時の心境が手に取るように分かっていたのだと思う。
僕はだんだんと、クラさんの人柄に惹かれていったのは言うまでもない…
出会いに恵まれることで、人は大きくなれる

クラさんには、僕にたくさんの事を教えてくれた・・。
お酒の知識や音楽の事、お店の営業の事・・。
ちょうど、お店が一周年を迎えた時、クラさんが真っ先にお祝いに駆けつけてきてくれた・・。
「一年おめでとう!!」
「でも、本当は一年経っておめでとうじゃないんだよ。」
「OPENして、最初の頃のお客さんは、行かないといけないお客さんなんだ。」
「だからこのお店の本当のお客さんのようで、本当のお客さんではない。」
「OPENさせたころ、お祝いに来てくれたお客さんって、もともと友達とか知り合いがいっぱい来てくれただろう??」
「そんな知り合いたちの紹介で、いっぱい色んな人たちに知れることになる、そんなお客さんがお客さんをよんで、このお店を気に入ってくれて、行きたいお店になるんだ。」
「そして、3年、5年たったら皆のお店にやっとなれるんだよ、だから、本当は3年たったらオメデトウなんだ・・」
「でも、今日は本当におめでとう!!」
と言ってくれた・・。
なんか本当に嬉しかった・・
いつも孤独を感じる僕にクラさんは、本当に心地よい人だった・・

「はい、皆のお店に早くなれるように頑張ります!!」
と、クラさんのお祝いの言葉に僕は答えた。
僕にとって3年で皆のお店になるという新しい目標がうまれた。
クラさんは、昔のウォターメロンのお客さんを連れてきてくれることが、多かったのだが。
それもこのお店が早く皆のお店になってほしいとの思いだったのかもしれない・・・
そんなクラさんの気持ちに僕は素直に答えたいと思った。
私が、クラさんと最初に出会った頃は、OPENして2ヶ月が過ぎた頃であった。
その頃の僕は、お店を持つことが目標で、仕事をやってきた。
ある程度のカクテルを作ることが出来たし、お店を持つことが出来たし。
それだけで満足していて、新たな目標の為に何かを頑張るという姿勢がなかった・・・
今振り返ると、あの時の僕は本当に腐っていた・・・。
出会いは成長&生長!!

OPEN前から、仲のいい友達だった皆吉をスタッフとして雇い入れ。
僕は経営者、そして皆吉は従業員としての関係が出来てしまい、互いの立場として上手くコミュニケーションが取れず、距離を感じ。
僕も弱い所も見せれずに、僕は経営者、誰もが経験する孤独感に包まれていた。
そんな時に、出会ったクラさんは経営者として、バーテンダーとして僕に、たくさんの勇気と多くの事を与えてくれた・・。
クラさんが、お店へやってくると、何故か僕の本当の理解者であるように感じ。
どこか僕の救世主のように思え、強い安心感に包まれてていたのだ…。
この出会いがなければ、今の自分はなかった。
孤独感や不安感に押しつぶされそうな当時の僕を、さらに新たな未来へと導き出してくれた人だった…。
僕はクラさんと接するようになって、又、改めてお酒やカクテルの勉強をするようになったし。
お客様とのふれ合いも大事に出来るようになっていった。
あの頃の私に必要なもの全てを与えてくれた、僕の最後の師匠だ。
僕はそんなクラさんの様々な教えに、なんとかむくいたいと、新たな自分を歩みだした頃である。
何かこの人に返したいという気持ちがだんだんと満ち溢れてくる・・・。
でもお店を持ったばかりのヒヨッコに、何も出来ないことは重々わかっていた。
ある日、いつものように親身になって僕に教えてくれるクラさんに、やはり何か返してあげたいという気持ちがこみ上げてきた。
そして思わず、クラさんに言った・・。
続く・・・。
今日もすべてに感謝!!
応援しています。
ともに成長していきましょう!!
新町
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