
僕の職人経営者時代の話です。
まだ、前回を読んでいない方は、番号順で順を追って読んでください。m(_ _)m
前回からの続き
僕は「フレア」という言葉にどこか直感的に惹かれて、「鹿児島一のバーテンダー」になる可能性を探し出した。
まず、この鹿児島でフレアバーテンダーとしてやっている人間を探してみたが、どうやら誰一人いなかった・・。
しかし、とりあえずはその本に書いてある、東京の新橋にある女性バーテンダーで、韓国からフレアを習得しているお店。
そして横浜駅スカイビルにあるバーで、その本によると、どうやら日本でフレアバーテンダーとしては一人者であるようだ・・。
ネットで検索しても、情報が乏しく、フレアという言葉を入れてみるのだが。
カタカナや英語などで様々な単語を模索して検索してみても、フレアスカートなどしか出てこなかった。
当時はあまり情報がネットで出てこなかった。
2003年はまだまだネット創世記で、ネットでも多くの情報がここまでなかった時代だ。
でも答えを探すためには、そこで立ち止まるわけにはいかなかった。
まさに僕の敬愛するブルース・リーの言葉通り。
考えるな、感じろ・・
直接現地で観てみないことには、自分の判断がつかないように思えた。
実際生で観て体感するライブ感には、言葉以上の情報と説得力がある。
「よし、直接観てみる!!」
僕はすぐさま、飛行機の切符をとり、たぶん横浜と東京と少し離れているため、一晩でその距離をハシゴしてバーに行くことは、難しいと思った。
なので宿泊期間は二日間を要すると思い、宿場も二日間おさえることにした。
本に書いてあったお店の電話番号から、日にちと時間、そして当日フレアをして欲しいとの希望予約を入れた。
考えるな感じろの哲学に答えはある

まだ見ぬ、フレアを実際生で、その技術を見てみようと胸を躍らせ東京へと向かった。
最初の夜は東京新橋にある「Gravity」というお店へ向かった。
久しぶりにそのお店を検索してみて分かったが、2009年に閉店してしてしまったらしい・・。
お店は、新橋のサラリーマン達が立ち飲み屋などで賑わいをみせている通りを少し離れた少しさびしい場所に、ポツンと「G」と大きく書かれた看板が目立っていたのですぐ分かった。
看板の文字があの本と一緒で、僕の胸は高鳴った。
「ここだ!!」とかなり興奮したのを憶えている。
その女性フレアバーテンダーである「平野直子」さんは、オーセンティックなバーで修行後。
フレアバーテンディングを学ぶために韓国へ行って技術を学んだという、異色の経歴の持ち主として。
僕の読んだ本では紹介されていた・・・。
この頃のフレア事情は、ちょうど黎明期で、名だたるフレアバーテンダーは、海外で習ってきたバーテンダーが多かった。
当時、アジアでも、隣国の韓国がフレアー大国で。
映画カクテルから影響を受けて「ダンシングフレア」と呼ばれる、音楽に合わせてまるでダンスを踊るような独自のフレアスタイルとして。
まるでガラパゴスの生物ように、独自の進化をとげ、世界にも異色の雰囲気を漂わさせていた。
その頃の日本のフレアバーテンダーも、お隣、韓国で勉強して、スタイルが韓国スタイルのバーテンディングを取り入れていた。
店内に入ると、店員に予約している事を告げ。
僕は店内を見渡し、勧められた席にゆっくり席につき。
ここがあの本に書いてあったお店かぁ〜としばし余韻に浸っていた。
ちょうどお店がOPENの一周年記念のお祝い期間中であった・・・。

店内はさすがに、一周年記念のイベントということもあってお客さんで賑わいをみせていた・・。
この様子だと、いくら予約をしていたとはいえ、すぐさまフレアでお酒を注文する事は無理だとすぐに分かった。
とりあえずは黙って、ファーストドリンクを飲みながら店内の様子を楽しむ事にした・・・。
その女性バーテンダーに、ファーストドリンクを注文すると。
彼女は飲むのももったいないほどに実にきれいな所作で、丁寧に僕のドリンクを作り始めた・・。
その所作を見ながら、とてもボトルを投げたり回したりするバーテンダーとは信じがたいほどの、綺麗で無駄のない動きだった。
しばらく、僕がその綺麗な所作を見とれながら、僕がフレアが見たくてわざわざ鹿児島からここへやってきた事や。
このお店がちょうど一年前の今日オープンした事などをバーテンダーを会話をかわしながら、お酒を楽しみ出した。
そんな時間が一時間くらいが過ぎた頃、その女性バーテンダーが「今、少し手が空きましたので、そろそろフレアの準備をいたしますね。」と僕に笑顔で声をかけてきた・・・。

そう告げると、彼女はフレアの準備にとりかかった。
ボトルやシェーカーなどが、綺麗にカウンターへ整列されていく様子を僕は静かに見守った・・。
その時印象的だったのは、カウンター内にある卓上冷蔵庫のガラス窓にお風呂用のプラスティックで出来た、ジャバラ状のふたを、卓上冷蔵庫のガラス窓に立てかけたのだ・・。

後で聞いた話だが、ボトルなどが落ちて卓上冷蔵庫のガラス窓が割れないようにだと教えてくれた。

いよいよ生でフレアが見れると、僕の心は高鳴ったのは言うまでもない。
あのクラさんと約束した「鹿児島一のバーテンダーになる!!」
もしかしたら、これを見たら僕の追い求めていた答えが見つかるかもしれないと、胸高まった・・。
思い起こせばその思いだけで、はるばる鹿児島から東京までやってきたのだ・・。
そう考えているうちに、どうやら準備が整ったようだ。
その女性バーテンダーは、カウンターに陳列されたボトルやシェーカーをゆっくりと眺め、気持ちを整えているようだった。
「じゃあ、今から始めますね!!」
とテンション高く、元気な声で僕に声をかけてきた。

僕がかたずを呑んで待つ中、軽く引き詰めた緊張した空気が店内にシーンとなって続いた。
お店の中の音もその空気をお店中で共有するかのごとく、静粛なステージと変わっていた。
そうしていると、勢いのあるテンポの音楽が流れ、店内は先ほどの落ち着いた不陰気とうって変わって、活気ある雰囲気へと突然変わった。
もう一人のバーテンダーさんが、テンポのいいリズムに手拍子を合わせ、私たちにも手拍子をせがむように笑顔で目を合わせてきた。
私もそれに気づくと、、おもむろに手拍子をあわせた。
カウンターでは先ほど、見事なほどの優雅に美しくカクテルを作っていた女性バーテンダーは。
リズムカルにまるでダンスのように動きコップやシェーカーを荒々しく取っては投げと、素晴らしい技を披露し始めた。
店内はお客さん達の手拍子と共に、皆笑顔で、時たま見せるキメ技にドーっと歓声に沸いた。
これほどまでの、お店がお客さんと一体になって盛り上がったのは始めての経験であった。
そしてこの旅が、大きな収穫がある旅だということを、核心した瞬間でもあった。
その技に見惚れていると、ダンダンとカクテルが完成されていき。
音楽が鳴り終るとわると、カクテルが無事に完成されていた・・。
そのカクテルは私の目の前に差し出された。
フレアで作られたカクテルを飲むのも、もちろん初めての経験である。
気になるカクテルの味だが、完成度も高く美味しかったのに驚いた。
差し出されたカクテルを飲みながら、「僕もフレアに興味ありまして、どうやったらいいでしょうか?」と彼女に尋ねてみた。
すると彼女は。
「鹿児島では、フレアをやっている方の話は聞いた事ありませんし、もしお時間があれば、横浜のバーに日本の第一人者の方がいらっしゃいます。そちらで尋ねられるといいと思いますよ。」
と教えてくれた。
紹介してくれた、そのお店はあの本に紹介されているもう一つのお店で、翌日に足を運ぶ予定で予約を入れていた。
お店を後にした私は、フレアの余韻にひたりながら、見えるもの全てがパッと明るく見え。
心の中では強くガッツポーズを高々に上げてホテルと帰っていったのだ。
横浜で考えずに感じたこと

翌日、朝、目が覚めて、東京から横浜行きの電車に乗り込み、横浜へと向かった。
目的は夜に営業するバーであったが、土地勘があまりなかった不安と。
せっかくなので早く横浜に出向いて、観光を楽しみながら、ゆっくり夜を待つことにしたのだ。
1.自分にとっての一番の強みであること
2.他とは比べられない唯一無二の存在であること
3.それを多くの人にニーズが有ること

店内に入ると、予約していた事を告げ、カウンター奥の壁際の席に案内された。

感動の正体とは?

彼のショーは、ほとんどノーミスで、動く間合いもリズムに合わせており、技のバリエーションも豊富で、僕は感動と共に目が釘づけとなった。
前日の女性フレアバーテンダーのフレアと比較してみても、明らかに彼のフレアは制度が高く完成していることが、素人の僕の目にも分かった。
彼のカクテルショーは、マジックや火をつけたボトルを回したり、口に強いお酒を含ませ、勢い良く大きな炎を吐いたりと、かなりのエンターテイメント性にとんでいた。

私はガツ-ンと強く頭を叩かれたように、僕の心は感動と驚きで何かが僕の中に降り、そして心の中でこれだと確信したのだ。
クラさんと約束した「鹿児島一のバーテンダーになる!!」
この答えが、このカクテルショーの中にその答えがあったのだ。
僕のこれまでの仕事の中に、ここまで人が感動する事があったのかと体の中に衝撃が走った。

少し余談にはなるが、僕は、後にフレアをしてみて分かった事がある。
このときの衝撃の理由だ。
2,021年東京オリンピックが、世界中を感動の渦に巻き込んだが。
人がそれを見て、なぜ人は感動するのか??
それは、その人の演技の裏にある、見えない数多くの努力やその人の人生をその演技で感じ取るからだと思う!!
僕はそのバーテンダーの演技が終わってすぐ声をかけた。
「僕もフレアがやってみたいのですが、どうしたら習得出来ますか??」
とそのフレアバーテンダーに尋ねた。
すると彼は、「フレアの私たちの組織がございます。私はその組織の代表を務めています。 その組織の名前はフレアバーテンダーアシスエーション通称FBAという組織です。 この組織は、バーテンダーの実務経験を2年以上を積まれた方でカクテルやバーテンダー実務の知識を有する方が参加対象になっています。 鹿児島にはまだ会員がいませんが、九州なら大分県が盛んです。 よろしければその大分の代表の方を紹介いたします。」
と教えてくれた。
どうやら、僕の地域の鹿児島にはフレアをしている強豪はいないようだ。
これで先程あげた4つの条件。
そのすべての条件が、僕の中で揃った。
そして、そのフレアバーテンダーの組織の入会の仕方や、申込書の書き込みの仕方などのアドバイスをもらった。
僕はその組織に入会する約束を、そのフレアバーテンダーに告げ。
またの再開を約束して、そのお店を後にした。
東京に戻る電車の中で、「私の仕事の中で、これほど人に感動を与える事が出来るのかと感動をおぼえたことを思い返しながら」絶対にやってやるという、強い意欲に沸いていた。
そして、クラさんと約束した「鹿児島一のバーテンダーになる!!」という摸索の旅の答えが見つかったことに強く喜びを感じたのだった。
それはとてつもない壮大な旅のスタートではあった。
そして、「フレア」という、大きなお土産を鹿児島に持ち帰る事ができる喜びに満ちていた!!
続く・・!!
④バカになれる人は、バカになれない人より偉い(職人経営者時代)
ここまで読んでいただきありがとうございます。
応援しています。
ともに成長していきましょう!!
新町
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